Xで見かけてから気になっていた「TALK TO ME」仕事納めのその足で劇場に向かいなんとか年内に見に行くことができた。
なかなか思うところのある内容でしたが概ねよかったんじゃないかなということで以下多量なネタバレを含む個人的な感想です。
2年前の母の死と向き合えずにいる高校生ミアは、友人からSNSで話題の「90秒憑依チャレンジ」に誘われ、気晴らしに参加してみることに。それは呪われているという“手”のかたちをした置物を握って「トーク・トゥ・ミー」と唱えると霊が憑依するというもので、その“手”は必ず90秒以内に離さなければならないというルールがあった。強烈なスリルと快感にのめり込みチャレンジを繰り返すミアたちだったが、メンバーの1人にミアの亡き母が憑依してしまい……。
悲劇に酔う
しかも悪酔いである。
全編通して思ったことはミア(主人公)は自分勝手すぎ。だった。
主人公は鬱の母親を亡くして二年。母親の二周忌(と便宜上させていただく)から始まりジェイド(友人)宅に上がり込む描写から始まる。
ライリー(弟)を迎えに行ったり、スー(友人)の母に手伝いを申し出たりと好意的ではあるがこの主人公。あまりにも距離無しすぎる。
作中、手の保持者であるヘイリー(友人)に「あいつって誰にでもベタベタしてくる」と揶揄されるシーンがあるがまさにその通りで、泊めてくれるジェイドの彼氏、ダニエルへのボディタッチを頻繁にする描写がある。
初めての降霊術の後怖がるライリーを抱きしめて眠る、ライリーが入院後ダニエルを家に招いて二人きりになる(しかも彼は元カレである)など、他者のパーソナルスペースを侵略しまくっている。
勿論、前者は安心させたいという気持ち、後者はいとこ宅に泊まると嘘をついたダニエルの言い訳を作るためと共犯者同士安心したいという好意を前提としているのだろうが自分が寂しいから、安心したいからという下心があまりにも明け透けすぎる。
後半、ジェイドにライリーがああなったのは「お前のせいだ」と言われた時の狼狽については見るに堪えない。正論だろう。9割9分ミアのせいでは?
降霊術でライリーに母親もどきが下りてきた際、手を握り帰さないようにしたのはお前ではないか。
展開として仕方なく、全員に罪がないとはいえないながらもその後もミアに付き合う(または付き合わされる)周囲があまりにも善人に見えて気の毒でしょうがなかった。
特に娘の友人を心配して泊めたスーや娘の心情を慮った父親にほぼ非はないと思うのだが……
家族だと言ってくれたライリーや快く泊まりのしかも連泊を許しているスーに対しての気づかいや感謝が薄く、あんな状態になったライリーを見てしたことはジェイドの彼氏兼元カレを家に呼び、添い寝した挙句一人で手を使うことだった。どこまでいっても母親が死んでしまった独りぼっちで可哀そうな私なのだ。父親と話すとかできなかったんですかねとは思うが思春期では難しいこともあるだろう。そんなこといってる場合かぁ!?
あまりにも父親や友人宅が報われない。
ミアにとって最愛の母親は父親にとっての最愛の妻であり苦しんでいるのは一人ではないのだが、この年齢ならしょうがないのだろうか。和解シーンを見るに父親との仲も悪くなかったように見受けられたのでやはり責任逃れをしたい、また他者に責任を押し付けたいミアの心情が強く出ているように感じる。
これはミアに限らず誰が抱いてもおかしい感情ではなく、それがより一層強く表れる思春期の表現の仕方がうまいと感じた。
乱暴に言ってしまえば脚本は勿論、ミア役のソフィー・ワイルドの人をイラつかせる演技がうまいのだ。
少し脱線するが、人を不快にさせる、イラつかせる演技というのは本当に難しく相当に高い演技力が必要とされると私は考えている。感動や悲劇と違い明確な型がないからだ。
「THE GUILTY」という映画の主人公は上記演技に関して私の中の最高峰である。観賞したのはアメリカ版。いずれは上記映画の記事も書けたらいいなとは思っているので興味がある方は是非観賞してみてほしい。
話は戻って次にスポットライトを当てたいのは、手の所有者であり悪友らしいヘイリーとジョス。
パーティーを開き酒を飲みながらガラ悪く煙草をふかし、降霊術でおかしくなった他者を撮影しその醜態を嗤う。いわゆるヒール系のカースト最上位キャラ。
私はそういうキャラクターが大好きだ。
特にヘイリーを演じられたゾーイ・テラケスの容姿や演技は役にばっちりハマっていた。
ジェイド宅で高校生組全員が降霊術に耽るシーンはなかなかに過激で見ごたえがあり、カースト最上位と同じことをしてみんなで盛り上がる高揚感が非常にうまく表れていたのではないだろうか。
椅子に拘束されおかしくなる上位者を撮影し、90秒後には本人も含め全員が手を叩いて笑うシチュエーションは倒錯的で私のフェチにガン刺さりである。
ありがとうございます大興奮です。上記シーンだけで元は取れた。
手は焼いてくれ、幸運を祈ると言って二人は終盤に退場した。展開はありきたりではあるがこれ以上は蛇足だろうし不満もない。
ラスト、ライリーを助けると言いながら尻込みし、冒頭のカンガルーと同じく他者に轢かせようとしたところもミアの他力本願が一貫して描かれており非常に好感触。
自身が招かれる側になるのも非常に良かった。
対比で描かれているそれぞれの家族のその後もミアの妄想等ではなく真実なのではないだろうか。これは巻き込まれた人々には幸せなオチを迎えてほしいという私の願望だ。
が、90秒を超えた降霊術を行ったのはミアが最初でそのミアは死んだ。
ジェイド曰く終盤のライリーは正常に目を覚ましており、ミアがライリーを殺そうとし悪霊になったライリーと話していた時も、目を覚ましたライリーが怯えた目で見上げているカットが入っていた。根拠としては十分ではないだろうか。
善き人には幸せになってほしい。母親に続き娘に殺されかけ結局は失ったミアの父親はもうどうしようもなく悲劇だが。
総評
悲劇のヒロインに酔い兎に角自分ファーストな癖に責任を負う気はない他力本願なミアに振り回される人々を95分間追うことになる。
思春期の思い込みの強さ、かたくなさ、独り善がりともいえる視野の狭さ等がうまく表現されている。感情移入型の観賞者にはあまり刺さらないかもしれない。
が、ノリのいいクラブミュージックと共に展開される話の内容は悪くなく、上記思春期のアンダーグラウンド的な表現や設定もよかった。同士諸君へ降霊術シーンはぜひともお勧めしたい。
期待値が大きかったせいもあるだろうが内容的に通常料金で見るにはレイトショーやサービスデーで見る分には満足できる映画だったのではないかと思う。
かくいう私もサービスデーで1,300円で観賞し満足できたので週末や平日にふらっと見に行くのはいかがだろうか。